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2024年12月31日

孫の入院

 

 楽しいクリスマスを迎えるはずでしたが、孫の茉里が頸部リンパ節炎にかかっていることが分かりました。25日に診察を受け、緊急入院してすぐに治療が始まりました。1歳3か月の子供ですから母親も病室に泊まり込みました。

 

小学生は面会できないので、我が家で兄の佑李を預かることになりました。急なことで本人は不安でいっぱいの様子でした。翌日、気分を紛らわせようと「湘南の宝石」と呼ばれるイルミネーションを観に私と佑李のふたりで江ノ島へ行きました。てっぺんのシーキャンドルまでエスカーで登りました。以前に遊んだことのある遊具を孫はよく覚えていて、夕暮れまで2時間近く過ごしました。

 

午後5時ちょうどにイルミネーションが灯りました。シーキャンドルはとてもきれいでした。展望台まで上がりぐるっと回って景色を眺めました。島全体がイルミネーションされていて、孫は感激したようでした。すっかり日が沈んだころ帰路につきました。

 

入院している妹のことはもちろん心配でしたが、徐々に快方に向かっていることが分かり、毎日テレビ電話で兄弟が顔を合わせることもできて、兄の不安は少しずつ解消したようでした。30日になって、1月2日に退院できそうだとの朗報が届きました。ほっとすると同時に、私たち夫婦は退院の段取りを考え始めました。

 

不安でいっぱいの年末となりましたが、お正月も何かと忙しくなりそうです。無事に退院したら、皆そろって楽しい時間を過ごしたいと思います。

 

 

 


2024年11月8日〜12日

帰郷、中学校のクラス会と高校の同期会へ

 

 週末に中学校と高校の同期会が2日続けて開催されました。どちらにも出席するため帰郷しました。

 

 4月に帰郷した際、ご縁があって中学校の同窓生と55年ぶりに再会しました。中学時代と変わらずユーモアにあふれた楽しい女性で、別れ際に、次回帰郷する機会に同級生を集めてクラス会を開こうと約束しました。ほぼ同時に高校の同期会では古希の記念として4年ぶりに同窓会が企画されました。すぐに中学校のクラス会が高校の同期会の日程に合わせて計画してくれました。そのような経緯があって、9日(土)と10日(日)に中学校のクラス会と高校の同期会に出席しました。半年前からこの日を楽しみにしていました。

 

 私は大阪府堺市で生まれ育ち、高校2年に進級するタイミングで河内長野市に引っ越してそこで2年間過ごしました。そして大学進学のため、生まれ育った土地を離れ仙台に行きました。大学を6年かけて卒業し、横浜の企業に就職して横浜市内に5年半ほど住んだ後、鎌倉に引っ越して40年近く過ごしてきました。

 

18歳で故郷を離れた後、同窓会などに誘われても出席したことがないままでした。遠い地から出席するために時間を使うより、仕事や趣味や家族のために時間を使ったからだと思います。

 

9日は中学校のクラス会で10人集まりました。堺東のレストランで昼食のテーブルを囲みました。取り留めない話をしているうちに中学校時代の思い出がどんどん蘇りました。冗談も交えて会話が弾み、あっという間に2時間が過ぎ1次会がお開きになりました。2次会は近くのライブハウスで皆が歌いました。私はこのライブのために持ち帰ったバイオリンを弾きました。親友のギター弾き語りで「神田川」を演奏しました。「岬めぐり」をギターの伴奏で女性とデュエットしました。

 

10日は難波のホテルで高校の古希記念同期会でした。同期生470名のうち80名ほど集まり盛大に開催されました。地元で暮らしている人の他、首都圏や四国、富山など遠方から出席した人もいました。ライブで始まり、出席者全員の名前を読み上げたあと、乾杯して歓談の時間になりました。バスケットボール部の同期の仲間が全員揃いました。52年ぶりに会う人ばかりですが、皆面影が残っていてすぐに打ち解けました。同じクラスだった人たちとも近況報告しあいました。2時間半があっという間に過ぎ、高校の校歌を斉唱してお開きとなりました。同じホテルでの2次会にも参加し、夕方のお開きまでさまざまな人と近況報告が続きました。

 

幼なじみは懐かしく、思い出深く心に残りました。機会があればまた同窓会に参加したいと思います。

 

 

 

 

 


2024年11月2日〜4日

ロジュマン文化展と東逗子音楽祭

 

 ロジュマン文化展が今年も文化の日に合わせて開催されました。私は水彩画2幅を出展しました。昨年から、海外旅行や出張で訪れた地の思い出を、当時撮った写真を見ながら絵にしていました。そのうちの2幅です。

 

 1枚はベトナムのホイアンを訪れた時に観た「日本橋」、もう1枚は北朝鮮の咸興(ハムン)の宿泊施設で見た日本海からの日の出です。いずれも思い出は深く、絵を描いている間、さまざまな記憶が鮮明に蘇ります。その時間が意義深く感じるし、描画に熱が入ります。そのかいあってか、多くの方々からお褒めいただきました。大変ありがたいことです。

 

 3日は東逗子の桜山4丁目町内会の音楽祭でバイオリンを弾かせていただきました。御恩のある方から頼まれて断ることができませんでした。しかし、ひとりで30分をあきずに聴いていただくだけの能力はありません。そこで、今回はカラオケに挑戦しました。市販されている伴奏CD付きの楽譜から7曲を選び、曲ごとにMP3に変換してスマホのミュージックアプリで再生できるようにしました。そして、それをbluetoothスピーカーに接続して伴奏してもらったのです。バイオリンのカラオケです。

 

 「小さい秋見つけた」、「雨降りお月さん」、「蘇州夜曲」、「北の国から」、「少年時代」、「時代」、「川の流れのように」の7曲を弾きました。会場練習ができなかったこともあって傷だらけの演奏でしたが、50人ほどのお客様からアンコールを受けました。それに応えてショパンの別れの曲を弾きました。来年もぜひ!とお声がけいただき、お世辞いっぱいでもうれしく思いました。

 

 

次回チャンスがあればクラシックの曲にも挑戦したいと思います。

 

 

 


2024年11月2日

茉里ンの運動会

 

 10月に1歳になったばかりの茉里ンが保育園に通い始めて1か月足らず、早くも運動会に出場することになりました。あいにくの雨模様でしたが、会場は小学校の体育館なので予定どおり決行されました。兄貴の佑李君も観戦しました。

 

 茉里ンはかけっこに出場しました。保育園児最年少でした。先週まで立つのがやっとと思っていたら、10メートルほどの直線コースをひとりでゆったり走り抜けました。堂々の完走に会場は大盛り上がりでした。その次はアンパンマンの衣装を着けながら障害物競走でした。お面をかぶったりマントを着けたりママの手伝いはありましたが、ひとりで堂々とゴールできました。競技のあと、ママとパチリ。成長いちじるしい孫の姿に大いに感動しました。

 

 兄妹仲良く育ってほしいものです。

 

 

 

 


2024年10月16日

後期の循環型社会論へ

 

 前期の授業を7月10日に行ってまだ3か月と少ししか経っていませんが、後期授業の出講日がやってきました。定刻の30分前に神奈川大学横浜キャンパスに入りました。心を落ち着かせて授業開始時刻を待ちました。

 

 前期と比べて履修学生が少し少ないと事前に聞いていましたが、教室に集まった学生は皆真剣に授業を聞こうという姿勢が表れていました。それに応えるべく、私も力が入りました。内容は前期授業と同じですが、少しでも講義内容が伝わりやすくなるよう、毎回パワーポイントを改善し話し方を工夫してきました。そのような少しずつの工夫が着実に成果を挙げていると感じました。今回の授業はこれまで以上に学生の心に届き手応えが返ってきたようです。要所では多くの学生がパワーポイントのスクリーンから私に視線を移して頷く仕草が見られました。うれしいことでした。

 

 最後にレポート課題を説明して授業を終えました。感想文や質問を読むのが楽しみです。

 

 


2024年10月12日

岩井海岸合宿

 

 毎年恒例の合奏団合宿が今年も岩井海岸で開かれました。ようやく秋らしくなり、久里浜港から東京湾フェリーに乗って金谷港まで、ゆったりと一人旅をした気分になりました。電車を待つ間に鯵丼で腹ごしらえして、岩井海岸の合宿所「澤金」に向かいました。

 

 今年の合宿はドヴォルザークの弦楽セレナーデとヴィヴァルディのシンフォニア第1番が課題曲でした。ドヴォルザークは第1バイオリンを弾きました。相当な覚悟で個人練習をして臨みましたが、弾きこなすレベルには届きませんでした。それでも上手な人たちと共に弾いて有意義な練習ができました。ヴィヴァルディはビオラを担当しました。初めて弾く曲でしたが、基礎テクニックの稚拙さがそのまま表れました。ともあれいつも通り楽しい合宿となりました。

 

 夜の宴会も大いに盛り上がりました。3リットルのダブルマグナムワインやスパークリングのマグナムボトルは瞬きする間もなく飲み干しました。そのあともワインや日本酒が次々に空いていきました。その間、四重奏が続けられて、私はモーツァルトのセカンドバイオリンを弾きました。

 

 2泊3日の合宿でしたが、今回は3日目に用ができたため、2日目の昼食を食べたあと、後ろ髪を引かれる思いで早退しました。

 

 

 

 


2024年9月7日〜8日

仙台レッスン会

 

 まだ真夏の暑さが残る週末に仙台へ行きました。東北東京合奏団の仙台レッスン会に参加するためです。土曜日の午後、新幹線で仙台に向かいました。

 

会場の東北大学さくらホールに着いてすぐに夜の練習が始まりました。合奏団の名付け親でもあり、創立以来ずっとご指導を受けてきた菊地先生の指揮でハイドンの交響曲第101番「時計」弦楽合奏版を練習しました。合奏団のメンバーの他に現役学生も加わり、40名ほどで演奏しました。パート練習の時間も取って有意義なレッスンを受けることができました。

 

翌日は広瀬文化センターに会場を移して、マルチェロの合奏協奏曲とモーツァルトの弦楽五重奏曲g-mollを合奏で練習しました。先生が指揮されると普段の練習会では出ないような良い響きがホールに広がり、実り多いレッスン会になりました。レッスンに集中して疲れた先生を見送り、自分たちでモーツァルトの弦楽五重奏曲「狩り」を時間の限り練習しました。

 

土曜日の夜の練習の後は、いつものワインハウスで懇親会が開かれました。今回は菊地先生ご夫妻主催のパーティーとなり、学生さんも交えて時間を忘れて懇親を深めました。

 

今回のレッスン会はいつまでも心の奥に残ると思います。

 

 

 

 


2024年7月10日

循環型社会論へ出講

 

 今年度も循環型社会論のひとコマを担当させていただけることになり、横浜キャンパスに出講しました。7月に入ってからの講義は今回が初めてでした。梅雨とは名ばかりで、真夏のような暑い日でした。

 

 教室はエアコンが入っていて快適でした。今年度も100名を超える学生が集まっていました。6月中旬に環境省から今年度の環境白書が発表されたばかりで、その内容を反映させて「環境白書から読み解く循環型社会への展望」というテーマで授業を行いました。3Rイニシアティブと物質フローとの関連、我が国の物質フロー推移などが具体的な内容です。この講義を担当して16年目ですが、常に最新の情報を取り入れた授業を心掛けてきました。

 

 今回も学生の心に響く授業になったのか、感想とレポートを読むのが楽しみです。

 

 

 

 


2024年6月26日

70歳の誕生日(古希)

 

 本日、私は70歳の誕生日を迎えました。家族からはLINEからのおめでとうコメント、孫からはおめでとうソング、また友人や知人からはFacebookをとおしておめでとうメッセージがたくさん届きました。私自身人生のひとつの節目と感じています。

 

 かつては古希、人がまれにしか届かなかった年齢だったのでしょうが、今では珍しくはありません。しかし、還暦から10年経ったという感慨があり、同時にこれからは矩をこえずに人生を楽しもうという大目標を掲げるよい機会を持てたように思います。素直な気持ちで落ち着いた毎日を過ごしたいものです。日々の暮らしの中に感動があり、日々新たな気持ちを持ち続けたいと思います。少しずつの学びも心掛けたいと思います。

 

 もうすぐ四半世紀を迎えるこのホームページももう少し続けようと決めました。今後ともよろしくお願いします。

 

 

 


2024年5月21日

最後の読書会

 

 2020年から始めた海老澤栄一先生と私の二人読書会最終回開催のため、会場の神奈川大学みなとみらいキャンパスに行きました。海老澤先生はご都合によりお越しになりませんでしたが、この日をもって読書会を終了しました。

 

 1990年に先生とのご縁が始まり、以来団体名や構成員にさまざまな変遷がありましたが、34年間一貫して参加してきた先生を中心とする読書会は大変意義深いものでした。私の人生を切り開くための決断の根本には常に読書会で得た学びが存在していました。毎月の読書会に参加するための準備や、読書会での仲間との討論を通して身につけた自分自身の思考基準、行動規範はいつも心のよりどころになっていました。読書会から受けた影響は計り知れません。

 

 多い時には100人を超す仲間といいねっとシンポジウムを開催したり、読書会活動のニュースレターを発行したり、エッセイ集を発行したり、ガイアシンフォニー自主上映会を催したりと、先生との学びの場から生まれたさまざまな活動は数えきれません。そのような多くの人と共にした幾多の活動も歳を重ねる中で少しずつ縮小し、最後は先生と私の二人読書会になりました。そしてその読書会もこの日で幕を閉じました。

 

海老澤栄一先生への感謝の気持ちは深くいつまでも持ち続け、消え去ることはないと思います。読書会は終わっても、これからも先生とのご縁は続くでしょう。

 

 

 


 

2024年5月2日〜4日

孫たちと一緒のゴールデンウィーク

 

 ゴールデンウィークに次女と孫たちが里帰りしました。お兄ちゃんは小学生になって1ヵ月、毎日楽しく学校に通っていると聞き、私たち夫婦もうれしくなりました。茉里ちゃんは生まれてちょうど8ヶ月、寝返りが自由にできるようになって、私たちはそれを見てやはりうれしい気持ちになりました。

 

 お天気に恵まれ、近くの鎌倉中央公園に出かけました。たくさんの鯉のぼりを背景にして3人で写真を撮りました。アスレチック遊具で時間を忘れて遊びました。

 

家に帰った後はテーブルにネットを取り付けて卓球をしました。遊んでいるうちに、我が家だけの特別ルールができ上りました。佑李君は少しずつ上手になって、時間を忘れて夢中で遊びました。

 

力強く元気に成長する孫たちと一緒に楽しく忙しく愉快な時間を過ごしました。たくましく育ってほしいと思います。

 

 

 


2024年4月20日〜24日

墓参と大河ドラマ館巡りの旅

 

 コロナ禍のため叶わなかった墓参のため、河内長野の実家に帰郷しました。高校時代からの親友、青山君と浜松駅で待ち合わせ、彼の車に同乗させてもらって大阪まで鈴鹿越えドライブをしました。久しぶりに会った彼との会話が弾み、3時間半があっという間に過ぎました。夜は2人で堺市内に出かけて小宴会となりました。

 

 翌日は青山君のギターで歌おうと、堺市のライブハウスに行きました。車で迎えに来てくれて母親も一緒に連れて行きました。ライブハウスで旧友の山田君と合流し、4人で近況報告や昔話で盛り上がりました。途中から中学校の同級生も加わり、当時の思い出が蘇りました。

 

22日朝、弟と母親の3人で鉢ヶ峰公園墓地へ墓参りに行きました。5年ぶりに亡き父を弔いました。午後は紀ノ川までドライブしました。紀ノ川をバックに3人で記念写真を撮りました。

 

23日、母親と2人で大河ドラマ館巡りの旅に出ました。今年は「光る君へ」にちなんで、京都御所と宇治平等院を訪れました。旅行中ずっと曇り空でしたが、傘の出番はほとんどなくゆっくりと散歩を楽しめました。京都御所では宮内庁職員によるガイドツアーに参加し、御所の構造やその歴史などを詳しく学べました。

 

24日、宇治の大河ドラマ館で記念撮影しました。今回で8回目の大河ドラマ館巡りに、母親は大変満足したようです。平等院や源氏物語ミュージアムを見学し、この日だけで1万歩を越しました。元気で何よりです。

 

 午後3時ごろ母親を大阪淀屋橋行きの電車に乗せ、動き出したことを見届けて鎌倉への帰路につきました。中身の濃い充実した楽しい5日間を過ごしました。

 

 

 


2024年4月8日

佑李君が小学生に

 

 孫の佑李君が小学校へ進学しました。私たち夫婦は入学式を終えた孫と娘夫婦の家でお祝い会に合流しました。普段と変わらない様子でしたが、新しいランドセルや学校からもらってきた教科書などが並べられていて、小学生になったことを実感しました。盛岡からこの日のためにやってきた御祖母様とそろって記念写真を撮りました。茉里ちゃんもうれしそうでした。

 

 孫たちが元気で育つことを祈りました。

 

 

 


椅子の上にあるギター

中程度の精度で自動的に生成された説明

 

 

2024年3月24日

合奏団大練習会

 

創立38年目を迎えた東北東京合奏団の大練習会がありました。普段は20名程度で音を出しているのですが、今回は2年ぶりに先生にお越しいただいたことで、56名もの団員が集まりました。おそらく合奏団始まって以来の大練習会でした。

 

 午前10時から午後4時までの短い時間でしたが、

 

ヘンデル     合奏協奏曲 Op.6-7

グリーグ     ホルベルグ組曲

モーツァルト   弦楽四重奏曲「狩り」

バルトーク    組曲

ヴィヴァルディ  合奏協奏曲「調和の霊感」よりOp.3-1Op.3-7

 

モーツァルト   ディヴェルティメント KV.136

 

の7曲をご指導いただきました。

普段の練習とは違った緊張感と充実感を味わうことができました。

 

合奏団は毎年新しいメンバーが増えると同時に、子育てなどでしばらく参加できなかった人たちが復帰し、ますます大所帯になってきました。都合で参加できなる人もいますが、そのような人もいつか戻ってくるのではないかと思います。いつまでも、世代を超えて皆で目指す音楽を形にしていってほしいと思いました。

 

 練習後、場所を移して慰労会を開催しました。40名の参加を得て、先生ご夫妻を囲んで楽しく有意義な時間を過ごしました。2時間半があっという間に過ぎお開きとなりました。私の感想を交えたお開きの挨拶をさせていただきました。

 

 このような機会がまたあることを祈りました。

 

 

 

 


2024年1月6日〜10日

母親が鎌倉に、そして親子旅

 

 正月を大勢で楽しく過ごした後、6日に大阪から私の母親が鎌倉にやってきました。今月93歳になる母は、河内長野市から一人で電車を乗り継いで来ました。これまでは大船駅で出迎えたのですが、今回は小田原駅で待ちました。大船まで一人旅でも心配ないのですが、少しでも安全にと思い、ホームで列車の到着を待ちました。

 

小田原の駅ビルで、母の大好きな鰻重を食べました。これまで母親と旅行したときは必ずその土地で鰻を食べましたが、小田原の鰻も大変美味しくて母は喜んでいました。昼食を終えた私たちは電車に乗って我が家に向かいいました。

 

 7日は久しぶりに母と妻と一緒に稲村ケ崎までドライブしました。寒くて風が強かったですが天気は良く、30分ほど七里ガ浜や大島、そして富士山を眺めました。その後、早くもお土産の買い物をして我が家に帰りました。

 

 8日は今回のメインイベント、母にとって4人目の曾孫に会うため保土ヶ谷に住む娘の家に行きました。92歳違いの生後4か月の曾孫を抱いて母はとても嬉しそうでした。もう一人の曾孫とは一緒にトランプを楽しみました。「ババ抜き」や「神経衰弱」で曾孫と大笑いしました。愉快な時間を過ごして母は十分満足していました。

 

 9日は母と二人で箱根温泉に親子旅をしました。昨年まで大河ドラマゆかりの地を巡る旅行でしたが、今回は温泉宿でのんびり滞在することにしました。箱根湯本で箱根町立郷土資料館を見学した以外ずっと宿に留まりました。1泊で4回も温に浸かり、夕食は大好きなすき焼きが出て大喜びでした。10日の午後、小田原駅で母が乗った新幹線の出発を見届けた後、我が家に帰りました。

 

 皆が元気でいられることの有難さがよくわかりました。

 

 

 


 

 

 

 

2024年1月1日〜3日

お正月

 

元日は我が家から夫婦二人で初日の出を拝みました。静かな新年の始まりでした。11時ごろ、二人の娘と二人の孫が揃ってやってきました。皆で御節料理と雑煮でお祝いをしました。そのあと、近くの諏訪神社へ孫と一緒に初詣をしました。家に帰って孫に日本地図双六をプレゼントしました。鉄道や飛行機を使って日本を一周するという双六です。日本各地の地名や名産を覚えながら楽しく遊べました。負けず嫌いの孫ですが手加減せず真剣勝負になりました。生後4か月を迎える孫はそんな遊びとは無関係で、マイペースで過ごしていました。

 

 2日は妻の妹家族と合流して妻の母親の家に集まりました。総勢11人のビッグパーティーになりました。92歳になった母親を囲んで近況報告などを語り合って楽しい時間を過ごしました。そのあと次女の家族3人は帰りました。正月も働く夫との時間を持つためです。

 

 3日は我が家に残った長女と3人で過ごしました。妻と娘は買い物に行ったり、私は正月明けの仕事の準備をしたり、それぞれ別々の時間を過ごしました。夕食を食べたあと、長女は自分の家に帰りました。

 

取り留めない正月を過ごしましたが、能登半島地震や羽田空港事故など、大震災や大事故のつらい話題がある中、平穏に正月を暮らせたことをありがたく思いました。

 

 

 


2024年元旦

古希

 

 あけましておめでとうございます。

新しい年を迎え皆様のご健勝とご多幸をお祈りいたします。

 

「人生七十古来希なり」とは杜甫の一節ですが、私は今年70歳に達します。今では70歳は珍しくありません。しかし、70歳の心構え、志に今も昔も変わりないのではないかと思います。人生の節目として心を新たにしたいものです。

 

「壮にして学べば即ち老いて衰えず」と佐藤一斎が記したとおりに、学びの心を忘れず日々新たに過ごしたいと思います。よく遊びよく学び、よく働く、そんな人生を送り続けたいものです。

 

元気な身体に生んでくれた母に感謝しつつ、健康第一で楽しい生活を続けます。どうかよろしくお願いいたします。